宮古の宿には南は長崎県から身近には長野県警など各地からのパトカーが多くとまっていた。何かあったのかな?と大きな疑問を持たずにいたが、宮古から裏磐梯に向かって国道45を南下する時、たくさんの信号が機能していないのに気がついた。各地から支援に駆けつけているのだった。もう半年たっている。復興へ道のりは遠いなぁ~。


数年前通った裏磐梯あたりの素晴らしい観光道路をゆっくりと回りたくて、裏磐梯で2泊してみたけど、記憶がはっきりしていなくてこの道路には出ることができなかった。
浄土平では一切経山を目の前にして、○○おじさんは山支度をととの経て3時間後には戻るからとスタコラと登りに行ってしまった。
そこで私はやはり目の前の吾妻小富士と浄土平の散策をすることに。大勢の人でにぎわっていました。
三陸鉄道はトンネルだらけで、トンネルとトンネルの間から見た車窓の海辺の町は・・・・・・。2009年7月三陸鉄道に乗って三陸海岸の旅をした時のフラッシュを震災後作りました。お時間があったら
こちらからご覧になってください。
船も家も津波が持っていたけど、家族だけは無事と軽トラでラーメン屋台をしてらした方の笑顔、塩釜で見回りをしてらした方の励ましの挨拶、活気を取り戻しつつある宮古の魚市場の様子など、先の見える明るさにも接しました。素晴らしい三陸の町の復旧復興を祈って今回の旅を閉じます。