金曜日, 7月 31, 2009

ハスの花

白神山地と五能線の旅は梅雨空と重なったので、全く予定を立てていなかった中尊寺を訪ねてみることになった。世界文化遺産の登録がなるかならぬかでやきもきしているが、どのように整備されているか気になっていた。中尊寺で興味があるのは金色堂はもちろんだが、約500年にわたって金色堂を守り続けた覆堂。夏の濃い緑の中にかわらぬ姿でそこにあった。
今回一番得をしたのはハスの花の時期だったので極楽浄土の象徴とも思うハスの花が盛りを迎えていたことだった。四代泰衡公の首桶から発見されたハスの種が平成10年に開花に成功し、「中尊寺ハス」として清楚な花容を見せていた。
それから本堂南側の遺跡・大池跡の2001年の調査で12世紀後半とみられる堆積土から出土した「大池ハス」も800年前と変わらぬ姿でたくさん咲いているのを見ることができた。
そして今日、島内の「ふもとハス園」に行ってきた。こちらは今から2000年以上前のの大賀ハス。家の近くにこのような立派なハス畑があるなんて・・・・・・全く知りませんでした。






水曜日, 7月 29, 2009

山登り(岩木山)

                         (岩木山山頂)
7月20頃には、東北地方も梅雨明けになるだろうとこの春,白神山地と五能線の旅を計画してみたものの、なかなか梅雨が明けないばかりか北海道の山の遭難事故が起こり、低気圧や前線が入れ替わり、立ち替わり日本列島の上空に現れる嫌な天候になってしまった。だが中止する思い切りもなく出かけてきたものの旅の空はいい晴れ間はなかった。

そして今朝も土砂災害のニュースが流れている。青い空とモクモクと湧き上がる入道雲が見たいよう~!

岩木山に登った日は青空!私の山登りはあの山を登り切れば頂上だ!青空が広がっていると信じて登るのだが、そこにはいつも急登が待っている。でも岩の向こうの青空に励まされて頂上に登ることができる。

今回もこの岩の向こうの青空を励みに頂上に登ってきました。
早く青空を! の願いを込めて、東北の旅先の岩木山の青空をUP してみます。





火曜日, 7月 07, 2009

海の幸

山国に住んでいる私は、海辺に行くというだけでわくわくする。そして頭に浮かぶのは青い海と旬の魚介類。今回の三陸海岸の旅もそうだった。駅弁とご当地の名産をまず検索した。電車の時間、観光地の情報のやり取りなどパソコンの恩恵にあずかった旅だった。そうして不出来とはいえ食べ物の抜粋をこうしてコラージュでUPできる。指導してくださるS先生と囲むスタッフの先生に心から感謝です。

気仙沼はふかひれの加工日本一とあって、宿の夕食を済ました後出かけてふかひれの姿ずしと軍艦を食してみたのですがグルメそのものでした。

今回は写真を撮る腕の悪さとカメラのご機嫌も悪くてダブルパンチの写真の出来となってしまった。

月曜日, 7月 06, 2009

三陸海岸(魅力いっぱいの海岸線)

久しぶりの列車の旅。「ローカル線で巡る三陸海岸」このキャッチフレーズで電車に乗ってさえいれば白い海岸線と、コバルトブルーの澄んだ青い海の組み合わせが飽きるほど見られるとナイスシルバー4人組が飛びついた企画だったけど、どうしてどうしてここはモグラの世界で海が見えるのはトンネルとトンネルの間のほんのチョピリだけだったけど、4人で知恵を出し合って練ったプランは3日間の楽しい旅の実現となりました。

なかでも小舟に揺られた碁石海岸観光は天候がよくなかったので波が高くてスリル満点。いつ海に投げ出されるかという恐怖でいっぱいの中を片手は船べりをしっかりつかみ、片手はカメラを持って揺れる船の上で写真を撮りましたというより撮りまくりました。どの写真も大きくぶれていましたが又とできない貴重な体験をしました。帰りの電車の中はこの話で始終盛り上がって笑ったり、泣いたり(?)で一番の旅の思い出になりそうです。






木曜日, 7月 02, 2009

かもさん救助

ある日の夕刻7時ころの出来事。
“カメラを持って早く外に来て~” えっカメラ、明日から出かけるからもうリックに中だよ~、と言いながら大急ぎで外に出たらかもさん親子が走っていて、その後ろを3歳の坊やが追いかけている。
コガモが2羽側溝のふたの下にいて出れないでいるよ。“それは大変、早く助け出さなければ”
そうこうしているうちにかもさん親子は農業用水の中に飛び込んだものの、コガモは深くて上がれない。
タモですくい上げて田んぼに放す。
サァ~、次は側溝のふたの下に隠れている2羽。居合わせた男衆が8人がかりでやっと保護して田んぼの中に。
夕食時になっても家に入らない男衆を呼びに奥方も顔出して、ひと時かもさん談義。“人命救助ならぬかもさん救助だ! よかった、よかった! カラスに狙われないで大きくなれよ!”と。三歳の坊やは始終“スゴイ、スゴイ” と追いかけまわしていた。
私の住んでいるところのよくある風景でした。