火曜日, 7月 31, 2007

越前大野のお城

町の中から大野城を見る
こんな案内板がありました
亀山に登って城門から見る大野城
大野の朝市

梅雨明けの宣言はいつ?と気にしながら○○おじさんのお供で、福井県大野市の荒島岳に出かけた。
安房峠、高山、九頭竜を経て荒島岳の登山口となる勝原スキー場へ着いた。荒島岳はリフトの終点駅が登山口になっている。今はリフトが動いていないからリフトの下を直登で登る。どうしようか迷っていたら、私は地元ですが「大野のお城に行ってみてください」と勧められて、朝市と城下町で知られている大野市に行ってきました。

大野城は亀山の頂上にあります。下から見たときはどんなに大きなお城かと期待しましたが、二層のこじんまりしたお城でした。お城の山への上り下りは、地元の人達の朝夕のウオーキングの道になっているそうです。ミニ登山をして朝市も見て登山口に戻りました。一人ぶらぶら歩きは楽しいよ。
○○おじさんはこれで「日本百名山」までに残り15になりました

月曜日, 7月 30, 2007

花火大会


松本市梓川と波田町共催の水輪花火大会にtuwabukiさんのお誘いで出かけた。
頭の上でドーン、ドーンと花火が上がり空いっぱいに広がっていく、それは見事できれい!初めて撮る花火の写真。カメラの花火モード一に頼ってやたらとシャッターを押したが、撮った写真は見た花火とは大違いでガッカリ。4,5枚を記念に残してあとは全部削除してしまった。豪快さはなくとってもおとなしい感じの写真です??
Tuwabukiさんありがとう 来年も行こうね。 

日曜日, 7月 29, 2007

那須岳

ガスがかかっている中、黄色のマーカーを頼りに登る。
那須五峰・茶臼山の山頂(鳥居と社がありました)
頂を目指す小学5年生(3グループの集団登山に出会った)
熱い墳気があがってくる中をヒヤヒヤ、ドキドキしながら歩く
7月11日大型台風4号の北上が気がかりだが、予定どおり那須岳に登りそこで2,3日様子を見ようということになった。
ロープウェイを利用して山頂駅から岩礫の道を登り始めたがガスがいっぱいでマークが見えないときもある。○○おじさんはいつもどおり“ここは黄色の道標だからこれを頼りに登ってね”といってスタコラ行ってしまった。私の後からやってきたロープウェイで一緒だったハイカーは“お母さん、山登りってこんなにきついんですか?お父さんはもう見えなくなりましたよ。僕はもどるわ”とものの10分も歩かないうちに帰って行った。
私も登りかけたがガスで先は何も見えないし、登山道は石がゴロゴロしていて歩きにくい。諦めて下山を始めたら登ってきた小学5年生を引率する先生が“ここを過ぎれば楽になります。一緒に登りましょう”と飴を袋から出して生徒の前で2つ下さったので、元気を出して一緒に登ることにした。登っても、登っても楽になることはなく、この岩礫の道は頂上まで続いていたが、先頭グループに混じって頂上へたどり着いた。礼をいい一足先に下山を始めた。このころにはガスもなくなって青空が出てきていた。
下を見ると○○おじさんがいる。“おとうさ~ん”と呼ぶが振り向かないので“そこのおじいさん引き止めてくださ~い”と叫んで一緒に歩くことになった。青空が広がって展望が開け、まさに山の上を歩いている爽快な気分にだった。
台風の速度はゆっくりで、大きな変化があることを期待してその晩は那須高原に宿をとったが、また土砂降り。翌朝“家に帰ろう”と言い出したのでまた出直すことにして、私と○○おじさんの北海道・東北の山旅は終わった。○○おじさんはこれで深田百名山まであと16座となった。もうちょっとだ、がんばれ!がんばれ!

金曜日, 7月 27, 2007

男体山・戦場ヶ原

光徳のハレニレの群落
日光戦場ヶ原

日光東照宮、中禅寺湖、華厳の滝には来たことがあったが、この戦場ヶ原は初めて、ここは男体山と赤城山の神様が争った戦場だったという神話がある。見所は竜頭の滝、戦場ヶ原、小田代原、湯滝…数多くあって一日では到底回りきれない。次回はもっと念入りな計画をたてて歩いてみたいと思った。 

 
男体山は6合目あたりから雨に振られて、頂上まで登っては見たが“行って見ただけ” の一言だということだった。下山後(15時45分)鬼怒川有料道路、日塩有料道路(龍峡ライン・もみじライン)を経由してその日の宿泊地塩原温泉に17時30分着。15日には楽しみにしている山形県飯豊山の開山祭があるので大型台風4号の進路が気になり始めていたが、明日は計画通り那須岳に登ろうということになった。

木曜日, 7月 26, 2007

筑波山

石の上に登って下を見たけどガスがいっぱいで雲の上にいるみたいでした
この口に中に石を投げ込むと幸せがやってくるというがま石

昔から「雪の富士」と「紫の筑波」は東国の2名山にたたえられていることは知っていたが、山の高さが876m、深田百名山は1500m以上を基準にしたといわれているから興味を持っていた。技術・体力ともに星一つ、私にも登れるかもしれないと期待を持って目指した。 

○○おじさんは表登山道を歩いて、私はケーブルの始発を待ってまず男体山を往復、かえるそっくりながま石の前を通り女体山へ、女体山は男体山より少し高いこと、歩きやすいこと、眺めがいいことなどいいこと尽くめなので人気があると聞きながら土地の人と歩いたが、ガスがかかり眺望がまったくきかないのが残念だった。ご一緒してくださった土地の方の案内があって筑波山の頂上制覇ができ、感謝、感謝です。(○○おじさんは全く当てにならない)

東北の空は、曇りのち曇りそして雨だから気分転換しようと筑波山に方向転換してみたが、梅雨空はどこも同じだった。特徴もなくおいしくもない観光協会お薦めの「つくばうどん」を文句たらたら言いながら食べて、日光の宿を予約し、○○おじさんは日光男体山登山、私は戦場ヶ原のウオーキングにとUターンした。

水曜日, 7月 25, 2007

裏磐梯から

青空をお見せできなくて残念
デコ平(湿原)のワタスゲ
新調したテントで広いゾーンを独り占め(キャンプ場が広いのでどのテントもこんな感じ)
「本の好きな人」たちのキャンプファイャーの様子
お洗濯をしたい、この山旅のために新調したテントを試してみたいのとで、休暇村磐梯高原キャンプ場でテント泊することになった。週末だったので家族連のキャンパー、「本が好きな人」の全国大会のキァンプファイャーーなど楽しい週末を過ごす人で賑わっていた。私たちはここから1日目は安達太良山と磐梯山のはしご登山をして、2日目は西吾妻山に登ったといってもそれは○○おじさんだけのこと、私はいつものとおり下のほうでウロウロを楽しんだ。
一泊目はランドリーを独り占めして洗濯をすまし、「本が好きな人」の会から米沢牛と枝豆をいただいて豪勢な食事ができた。2泊目は疲れて食事のしたくはパス。お風呂に行ったついでに休暇村本館で夕食(バイキング)を済ました。入浴料込みで一人3650円だったけどまあ満足。
安達太良山‥「千恵子抄」の本当の空を見て
磐梯山‥2.3日前に親子連れの熊を見たという話を聞いて車から降りる気がなくなって、登るのはやーめた。
西吾妻山‥山とは反対方向のデコ平を散策         
福島県・磐梯でびっくりしたことは道路が立派なこと。立派な道路と次々と現れる絶景、次回はドライブの計画をたてよう!

火曜日, 7月 24, 2007

蔵王

標高1670m五色岳山頂近くにある直径の330mの火口湖(蔵王のお釜)
コマクサ いっぱい咲いていて踏まないように気をつけて歩いたよ
ツガザクラ(?)
テガタチドリ  こんなにたくさん咲いているのを見たことがないと言えるほど咲いていたよ
早池峰山を正午に下山後、昨夜の珍客の話で盛り上がり少し気の利いた昼食をとって、蔵王温泉を目指した。
蔵王といえばあのエメラルドグリーンの水をたたえたお釜と冬の樹氷。蔵王温泉からロープウェイを利用して熊野岳(蔵王の盟主)に登りたかったので曇り空のもと、蔵王連峰横断ドライブをしたのち、その夜は蔵王温泉に泊まった。翌朝になったら○○おじさんの気が変わってロープウェイを利用すると経費と時間がかかるから、昨日通ったお釜まで車で行きそこから熊野岳を目指すと言い出した。
私はロープウェイに乗りたかったが天気もよくないことだしと一歩譲ってお釜の駐車場へ。ガスが巻いて何も見えなくなったりするので道標の杭(3mくらいの丸太が等間隔で並んでいた)に沿って歩くように注意を受けて、晴れ間を見てお釜をのぞいたりしてのぼって行ったら、熊野岳の馬の背にはコマクサがいっぱい咲いていると話しながら下山してくる人に会い、頂上を目指すことにした。ここは花がきれいだった。コマクサ、テガタチドリ、コイワカガミ、ツガザクラなど足元にいっぱい咲いていて、たくさんの花を見ることができ、この山旅の始めての頂上制覇だった。
たくさんたまった洗濯物をかかえているのに、簡単に頂上に登れたことが嬉しくてルンルン気分で裏磐梯高原に向かった。

月曜日, 7月 23, 2007

早池峰山(うすゆき山荘のできごと)

登山口から始まる渡渉ができずコース変更(私だけ、皆さんはぴょんぴょんと行ってしまった)今度はこの岩を登れなかったので途中で断念

フェリーで苫小牧から八戸に着いたとき土砂降りだった雨は、昼前に小止みとなり、晴れてくれればいいと念じては見たが梅雨の真っ只中そんな幸運は待っていない。降ったり止んだりの天気だった。今晩の宿は登山口近くにあるうすゆき山荘、小屋は無人でもちろん無料、15人収容で早いもの勝ち。
小屋に3時過ぎに着いて、少しの荷物を置いて場所取りをした後、登山口など確認して小屋に戻ったが誰も来ていない。このごろはこんな小屋は人気がないんだねと話しながら、夜中は寒くなるからストーブを焚き始めたが煙って涙がポロポロ、仕方なくおいてあったどこかの山岳会の炭を拝借してそれで暖をとることにした。燃えきらないまきがいぶって煙い中、涙を拭いながらインスタントの夕食を済ませて何もすることがないので、片腕には時計、もう一方の腕にはヘッドライトを巻いて、8時頃シュラフにもぐりうとうとしたら外に人の気配。

これは大変、ど真ん中で堂々と高いびきの○○おじさんを揺さぶった。“お二人だけですか車の中で寝ようと思ったが、一緒によろしく”というが早いか荷物を持ち込んだ。○○おじさんは沈黙のままシュラフを壁際に寄せて寝ている。
それからが大変“今日土砂降りの雨の中を岩手山に登ったんですよ。花が見事でコマクサ、シラネアオイ等等…”一人で喋り捲りストーブの上の煮えたぎっている湯でコーヒーを入れてすすり、あげくの果てに張ってあったロープにぬれたものをずらりとかけて干した(私の頭の上にも)。2時間後には“乾いた乾いた”と片付け、翌朝の3時30分“外は明るいですよ、雨はあがってます”と起こされた。
こうして「日本百名山」のみか「花の百名山」にも名を連ねる早池峰山の朝は始まったが○○おじさんは始終無言のままだった。

日曜日, 7月 22, 2007

登山口はさまざま

日光男体山の登拝門
宝の山、磐梯山には数コースの登山口がある
雌阿寒岳、雌阿寒温泉登山口

7月5日、今日から東北。私は白神山地、陸中海岸、平泉など回ってみたいが、今回は○○おじさんの登山を優先することにしている。朝から土砂降りの雨、目指すは岩手県の早池峰山。でも今日は移動日だから夕方までに登山口近くまで行ければそれでいい。
お供をしてみて登山口にもいろいろなスタイルがあって面白いと思っている。登山の安全を祈るためか登山口にはしめ縄が張られているところもあれば、案内板だけのこともある。登山コースは1コースだけだったり、数コースあって自分の体力に合わせたり、上りと下りを違うコースにして楽しんだりさまざまだ。
今回一番立派だったのは「日光男体山」。こちらは登山口とは言わずに登拝門、山頂に祭ってある神様を拝むために登るからだ。見ていたら○○おじさんは登拝料500円を払いお守りをいただいて登って行ったよ。
雌阿寒岳は雌阿寒温泉コースから上りオンネトーコースに下りた。 私も若いころ少しは山登りしたが、今はもう上りが辛い。

土曜日, 7月 21, 2007

旭山動物園

シロクマさんの失礼します

テレビで旭山動物園の特集をしていたから、みんなが行くから一度行ってみようということになって、旭山動物園によることにした。今まで好天に恵まれていたがこの日から天気は下り坂の予報。帰宅後ほかの2グループに聞くと、羊蹄山は晴、羅臼岳は雨だったという。旭山動物園は晴れだった。
私は旭山の「全国区人気」の立役者ペンギン、ホッキョクグマ、アザラシともくもくタイムに的を絞った。写真はどれも不成功、特に猿のもくもくタイムにいたっては惨憺たるもの(UPも不可能)。もっと動物園に出かけなくてはいけないと反省することしきり…。やまさんのような写真は永遠の課題。
この動物園でびっくりしたことの一つは子供の数が非常に少なくて(平日ではあったが)中高年のツアーが多かったこと。園舎が清潔に保たれていたこと。童心に返って「生態展示」と「行動展示」に目を見張った??
シロクマさんの写真は私なりの「生態展示」と「行動展示」の結晶。
もうしばらくいたい衝動に駆られたが閉園時間を待たずに先を急いで、苫小牧発・八戸行きのフェリーに乗るため動物園をあとにした
。 

金曜日, 7月 20, 2007

オンネトー(Ⅱ)

噴煙を上げる雌阿寒岳
湖面に映る雌阿寒岳と阿寒富士
神秘の湖としか言いようがないオンネトー
こんな素朴な温泉もある・・・


オンネトーはアイヌ語で「親なる沼」あるいは「年老いた沼」という意味を持つという。この湖は静かな原生林の中にあってその周囲は4km、湖底から弱酸性の温泉が湧出して天候や時間帯、四季の変化などで水の色が変化するので別名「五色沼」ともよばれている。
私はエメラルドグリーン、コバルトブルーとさまざまな表情とその湖面の美しさに堪能。私より3日遅れで雌阿寒岳登山のために到着した○○おじさんは高度を上げるにつれて見え始めたオンネトーの美しさに魅せられて何回も振り返ったという。ソロ登山の同宿のお二人もいつもより時間をかけて、景色を楽しみ、オンネトーを見下ろしながらの登山だったという。私は大急ぎで上り下りしてはダメだよと頷いた。昨年の夏は噴火活動のため入山禁止だった雌阿寒岳は活発に噴気を上げ続けていた。
もうひとつの楽しみは宿の温泉。熱も水も加えていないお湯が木の樋からこれまたトドマツの木の湯船に注がれてあふれた湯は流れ出ていく、本物の温泉。湯殿の中は硫黄臭でいっぱいだが、いまふうに言えば癒されて心地いい。湯の花が多かったが毎早朝やどのご主人が丁寧に掃除され、清潔が保たれていた。
20年近いときを経てのオンネトーだったが、満足、満足。明日は旭山動物園へ行こう。 

木曜日, 7月 19, 2007

オンネトー(Ⅰ)

オンネトーの向こうには雌阿寒岳と阿寒富士
周りの木々の緑を湖面に映すオンネトー
きれいな水色の湖面が現れて大急ぎでシャッターをきる
 湖底の枯れ木もきれいに見えて 
 
 今回の山旅でどうしても行きたいところ、 20年近く前の秋たずねて紅葉と湖のすばらしさを折りにふれて思い出していたオンネトー。チャンス到来!宿の予約をした。雌阿寒温泉には3件の宿がある。“もしもし、65歳を過ぎたばあさんの一人旅ですが宿をお願いできますか?”1軒目はダメ、2軒目は皆さんそんな人ばかりですよと快く引き受けてくれた。おまけに宿賃が1泊2食で5090円と安い。安かったからではないが私は結局ここで三晩お世話になった。同年代のご夫婦が二人きりで切り盛りする気持ちのいい宿だった。一人旅のばあさんは私だけだったことも付け加えておきたい。
 ここでは天気に恵まれ、朝早く出かけて夕方まで、刻々と変化するオンネトーを堪能した

水曜日, 7月 18, 2007

霧の摩周湖

コバルトブルーの湖面に期待したのだが、今日も霧の摩周湖でした。
むき出しの岩肌のあちらこちらから硫気が噴出して不気味な硫黄岳 
湖面の変化を楽しみにしていたオンネトー(翌日は快晴に恵まれ・・・)
7月1日 釧路湿原からオンネトーに向かった。できることなら釧路湿原から、○○おじさん達が下山予定の平取に行って、平取和牛を食べたかったのだが、広くて交通機関の連絡の悪い北海道のこと一日かかってもそこにつくことは不可能だったので、仕方なく釧路発着の定期観光バスに乗って阿寒湖畔で途中下車することになった。
朝(7時30分)スタート時は青空だったが摩周湖につく頃にはもやもやの幻想的な世界に変わり湖面は霧に覆われて「霧の摩周湖」そのものでした。美幌峠は暗闇の世界で5月はたった3日しか太陽が顔を出さなかったと展望のきかない峠を嘆くのを“このごろはどこも異常気象よ”と頷き、屈斜路砂湯(掘ったけどお湯は出なかったよ)では足湯に浸かって温まり硫黄山に向う。噴気でゆでた名物の温泉卵(1個100円)食べ、川湯温泉、阿寒湖畔を通過してオンネトーの到着は3時30分。
観光がてらとはいえほぼ一日がかりで目的地について北海道の広さを実感。翌日は快晴に恵まれてオンネトーの湖面の変化に堪能。

火曜日, 7月 17, 2007

釧路湿原

カヌーに乗りこの流れに身を任せて(なぜかカヌーは私の乗った一艘だけでした)
キリコタン岬から釧路湿原を見る(湖沼、湧き水、流れなどなど) 
この湿原にいくつかの鹿の群れが(中央の点々)
湿原の中に丹頂を発見(つがいで行動しているそうです)
 
 昨年、釧路湿原に立ち寄ったとき、駆け足だったので再訪してみたい場所となっていた。昨年は展望台から東西25km、南北36kmの湿原を支配するヨシ、散在するハンノキ林、蛇行する釧路川、点在する湖沼の見渡す限り広がる茫々とした幻想的な湿原を見ていたので、今回はカヌーで湿原の中を下ることにした。川の水音と湿原を吹き渡る風に吹かれてゆっくり、ゆったり至福のひと時だった。
今回の釧路行きで最大の収穫は、一般の観光客は訪ねるチャンスがないといわれるキリコタン岬を宿の主人の好意でいけたこと。まだまだハンノキ林も少なく釧路湿原のかっての姿を見ることができ、鹿の群れが跳ね、コッタロコ岬では丹頂も見ることができた。
 あと一泊して湿原の中を歩いてみたい衝動に駆られたが、8月の蛍の時期か天候が安定するといわれる10月の初旬の紅葉時期にもう一回・・・旅をしてみたいと思い次の目的地オンネトーに向かうことにした。

日曜日, 7月 15, 2007

北海道・東北の山歩き

船内の様子
釧路駅前和商市場
日本一遅いといわれる釧路湿原のろっこ号
釧路川をカヌーで下ると・・・
 
 ○○おじさんは今年中に深田久弥の百名山を仕上げてしまうために、北海道にあと2座残している山に出かける計画を立てたので、私も一緒に出かけることにした。とはいっても日ごろ山に登っていない私は登山口をうろうろするしかない。これも結構楽しくてトップハンターの皆さんには考えられないことらしい。
 スタートしたのは6月28日新潟港初23時30分発のフェリーに乗船、翌17時20分苫小牧東港着で同行の3グループ(6人)は日ごろの骨休めのゆっくりゆったりの船旅だったが、苫小牧に着くと緊張がはしる。日高山脈の最高峰・幌尻岳を目指す5人はテントを張るために日高のキャンプ場へ、私は釧路湿原への一人旅。札幌を経由して夜行バスに乗り30日早朝釧路駅に着いた。

 今年釧路で実現したかったのは釧路川をカヌーで下ること、日本一遅いといわれるトロッコ電車に乗ることだった。雨にこそあわなかっものの、梅雨空のもと広い釧路湿原を蛇行する釧路川をくだり、上からも下からも釧路湿原を堪能して、今年の北海道から東北の山歩きが始まった。(台風4号の到来で予定より早く帰路につくことになったが・・・)